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問題001

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問題003

島原の前身は、1589年に( だれ? )の許可を得て、原三郎左衛門らが二条柳馬場に花街を開設。その後六条三筋町に移転し、さらに1641年に現在の地に移された。急な移転騒動が当時の島原の乱に似ていたことから、島原と呼ばれるようになった。

   

 

<解説>

嘉永4年(1851)の大火で

島原のほとんどが焼失。

祇園新地で仮営業をしていたが

大半が島原に戻ることなく

街は寂れていった。

 

明治以後は

公家、武家の常連客がいなくなり

さらに窮状に置かれる。

 

昭和初期までには

娼妓(遊女)本位の花街になっており

ついにはお茶屋組合が解散して

普通の住宅地と化した。

 

投稿記事 : 芹沢鴨が最後の晩餐をした花街島原の揚屋「角屋」

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問題002

東京の浅草、四ツ谷、京都の( どこ? )、大阪の北新地などでは、芸者(舞妓、芸妓)やホステスが、節分の夜(立春前夜)に通常の芸妓衣装ではない、様々な扮装をし社寺参拝を行う「節分お化け」が行われる。

   

 

<解説>

節分お化けは

厄払いのために普段と違う服装で社寺参拝を行う。

いつもと違う扮装をすれば

魔を追い払うことが出来ると信じられたことから

始まったもの。

 

京の花街で行われる

節分お化けでは

芸妓などが時代劇やスポーツ選手等

通常の衣装とは違う様々な扮装をして

座敷に出る。

 

また客の方も

様々な扮装をし

他の客の座敷に出ることもある。

通常、客が他の客の座敷を覗くことはタブーであるが

節分お化けの時には

年に一度の例外として上がり込む事が許される。

 

今年の扮装の人気は「ピコ太郎」だったそうです。

 

投稿記事 : 節分の日にだけ販売される米満軒の七福餅

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問題001

常照寺は、38歳で病死した( どこ? )の名妓(めいぎ:名高い芸妓)吉野太夫ゆかりの寺で、「吉野の赤門」や「吉野窓」などが見どころ。

   

 

<解説>

社殿は平安京の朝堂院を模し

約八分の五の規模に縮小

二層の神門は応天門、拝殿は

大極殿を模し建立

昭和15年(1940)

平安京で過ごした最後の天皇

孝明天皇が祭神に加えらた。

 

投稿記事 : 燃えるような紅葉 常照寺

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