千本ゑんま堂(引接寺) 地名に潜む真実千本鞍馬口近くには

「千本ゑんま堂」の通称で知られている

「引接寺(いんじょうじ)」が在る

 

P1270036a

 

この場所は

かつての京都の3大墓地の一つ

蓮台野(れんだいの)の入り口

 

蓮台野という場所は

風葬を行っていた場所

(風葬:遺体を雨風にさらし葬る)

 

その蓮台野に続く道が

千本通(せんぼんどうり)

 

P1270050a

 

千本通りは平安京の朱雀大路を起源とし

南は羅城門から始まり

北には船岡山(ふなおかやま)が正面に来るように造られた

 

その船岡山の西のふもとにあったのが蓮台野

千本通りは夜ごと死者を運ぶ道であった

 

それゆえ

道の両脇には数えきれないほどの

卒塔婆(死者を弔う木札)が立てられた

 

その数およそ千本

 

その後この通りは

千本通りと呼ばれるようになる

 

P1270056a

 

 

この界隈の地名を確認すると

 

船岡山の南西には「閻魔前町(えんままえちょう)」

地獄の入口で死者を待つ閻魔様が住む町

 

船岡山の西側の地名は「紫野(むらさきの)」

紫は死者が流す血の色を意味し

血だらけの野原という意味

 

P1270063a

 

そして「千本ゑんま堂」

本堂には本尊の閻魔様が睨みを利かしている

 

P1270071a

 

そうそう、

この辺りで嘘をつく事は御法度です

 

問題

千本ゑんま堂の本尊である閻魔法王は( ? )で一度焼失、現在のものは1488年に作られた2代目である。

   

 

<解説>

高さ2.4メートル 幅2.4メートル 木製

現在のお像は長享二年(1488)

仏師定勢(じょうせい)により

刻まれ再現安置されています。

 

 



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