船岡山公園 噂の真相京都には

「心霊スポット」と呼ばれる場所が

いくつかありますが

 

ここ「船岡山公園」もその一つ

 

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果たしてその真相や如何に

自分の目で確認することにします

 

 

北大路通り南にある船岡山公園(ふなおかやまこうえん)は

標高111.7m

面積2万5000坪の小山

 

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その地形が船に似ていることから

「船岡」と呼ばれるようになりました

 

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山頂は

京都タワーが確認できる

抜群の展望ポイント

 

 

その山頂に行くまでの途中には

建勲神社(たけいさおじんじゃ)があり

 

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山頂までのウォーキングを楽しむうえでは

是非、立ち寄りたい場所

 

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境内から眺める

五山の送り火は有名鑑賞ポイント

 

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建勲神社を含むる船岡山の一帯が

公園として整備されており

 

多くの方が

気持ち良さそうに

山頂までのウォーキングを楽しんでおられる

 

 

では、なぜ?

「心霊スポット」と呼ばれるのか

 

理由は大きく4つ

 

1. 応仁の乱の戦場であった

2. かつての京都の3大墓地の一つ蓮台野(れんだいの)があった場所

3. 昭和59年に警官射殺事件が起こった場所

4. 首吊り自殺が多い

 

そして、こんな噂話が広まっています

「だれもいないのに

足音だけがスタスタと着いてくる」

 

 

長い歴史がある京都では

少なからず何処にでも過去の暗部が潜んでいます

 

また、このようなロケーションでは

犯罪や事故の温床となる可能性は大きくあります

 

そのような偶然が重なれば

この手の心霊話は自然に湧いてくるものでしょう

 

ひとくくりで

「心霊」というのも安易な考えではないでしょうか

 

私はそのように感じました

 

 

ただ、船岡山のうっそうと茂る木立は

夜になると

昼間では考えられないくらいに暗くなるでしょう

 

この時代、幽霊より怖いのは人間

だれが潜んでいるか分からない場所ヘ

面白半分で夜に出向く事はお控えください

 

問題

建勲神社のはじまりは、明治2年11月8日(1869年12月10日)、日本が外国に侵略されなかったのは、天下統一をめざして日本を一つにまとめた( 誰? )を賛えるための健織田社(たけしおりたのやしろ)の創建が、明治天皇により決定された事が始まりである。

   

 

<解説>

明治3年10月17日

信長の子孫で天童藩知事・織田信敏の邸内(東京)と

織田家旧領地の山形県天童市に

建勲社が造営された。

 

明治8年(1875年)4月24日

別格官幣社に列格した。

 

現在地の船岡山は平安京の四神相応の玄武に位置し

豊臣秀吉によって信長の廟所と定められた地である

その船岡山に神社を移すことになり

明治13年(1880年)9月

社殿が竣工して東京より遷座した。

 

なお、この時は現在表参道を少し登ったところにある

「大平和敬神」の石碑が建っている場所に本殿があった。

 

明治14年(1881年)に織田信忠が合祀され

明治43年(1910年)に社殿が現在の山頂部分に移建された。

 

 



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