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問題001

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問題006

 「ねぶたさの春は御室の花よりぞ」と詠んだ俳人は誰か?

   

 

<解説>

この句は

御室の桜の咲くころから暖かくなり

眠いほどになるといっている。

 

与謝蕪村が京都を活動の拠点としたのは

40歳を過ぎてから

亡くなったのは天明3年(1783年)12月

享年68歳

京都市下京区には「与謝蕪村宅跡」と刻まれた

石碑が立っている。

 

投稿記事 : 仁和寺の御室桜

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問題005

冷泉家(れいぜいけ)は、( ? )と呼ばれる家柄の公家であった。

   

 

<解説>

羽林家は、

鎌倉時代以降の公家の家格のひとつで、

摂家、清華家、大臣家の下

名家と同列

半家の上の序列に位置する

 

冷泉家は御子左家(二条家)の分家

冷泉小路に家名は由来する

歌道の宗匠家の内の一つで

冷泉流歌道を伝承している。

 

投稿記事 : 冷泉家 壁の奥の桜

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問題004

新熊野神社で能を披露した事から、幕府の庇護を受ける様になった猿楽師(さるがくし)は誰か?

   

 

<解説>

室町幕府三代将軍・足利義満が

観賞し目に留めたのが

新熊野神社で披露した

観阿弥(かんあみ)・世阿弥(ぜあみ)親子の

猿楽(さるがく・現在の能)であった

以後、足利将軍家から庇護されるようになる。

 

投稿記事 : 新熊野神社 影向の大樟さん

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問題003

日本人として初めてノーベル賞を受賞し、京都大学の教授を務め、梨木神社には詠んだ歌碑がある人物は誰か。

   

 

<解説>萩で有名な梨木神社湯川秀樹博士は梨木神社「萩の会」の初代会長歌碑の短歌はコレ 

「千年の昔の園もかくやありし、木の下かげに乱れさく萩」

 

意味は、

千年前の平安京も

このように萩が咲いていたのだろう

 

湯川秀樹は

明治から昭和にかけて活躍した物理学者

ノーベル賞は1949年

中間子理論で日本人として初めて受賞した。

 

投稿記事 : 梨木神社 京の三名水「染井」

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問題002

南禅寺の三門に登り「絶景かな、絶景かな」と言った大泥棒は誰?

   

 

<解説>

歌舞伎「桜門五三桐(さんもんごさんのきり)」の

名シーンでの五右衛門のセリフ

南禅寺の三門は家のない人たちが住むには

最適な場所で

その場所から桜を見ながら

都を一望した時に言ったセリフ。

 

投稿記事 : 雪積もる 南禅寺

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問題001

記事中の京極かねよの看板「かねよ丼」は、京都南座の( ? )を20年にわたり書かれた佐治永清さんの作品である。

   

 

<解説>

京都南座の12月顔見世公演は

最も歴史が古いことで有名で

役者の名前が勘亭流(江戸文字)で書かれた

「まねき」と呼ばれる木の看板が掲げられ

京都の年末の風物詩となっている。

 

投稿記事 : 京極かねよ きんし丼

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