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問題001
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「ねぶたさの春は御室の花よりぞ」と詠んだ俳人は誰か?
この句は
御室の桜の咲くころから暖かくなり
眠いほどになるといっている。
与謝蕪村が京都を活動の拠点としたのは
40歳を過ぎてから
亡くなったのは天明3年(1783年)12月
享年68歳
京都市下京区には「与謝蕪村宅跡」と刻まれた
石碑が立っている。
投稿記事 : 仁和寺の御室桜
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冷泉家(れいぜいけ)は、( ? )と呼ばれる家柄の公家であった。
羽林家は、
鎌倉時代以降の公家の家格のひとつで、
摂家、清華家、大臣家の下
名家と同列
半家の上の序列に位置する
冷泉家は御子左家(二条家)の分家
冷泉小路に家名は由来する
歌道の宗匠家の内の一つで
冷泉流歌道を伝承している。
投稿記事 : 冷泉家 壁の奥の桜
新熊野神社で能を披露した事から、幕府の庇護を受ける様になった猿楽師(さるがくし)は誰か?
室町幕府三代将軍・足利義満が
観賞し目に留めたのが
新熊野神社で披露した
観阿弥(かんあみ)・世阿弥(ぜあみ)親子の
猿楽(さるがく・現在の能)であった
以後、足利将軍家から庇護されるようになる。
投稿記事 : 新熊野神社 影向の大樟さん
日本人として初めてノーベル賞を受賞し、京都大学の教授を務め、梨木神社には詠んだ歌碑がある人物は誰か。
「千年の昔の園もかくやありし、木の下かげに乱れさく萩」
意味は、
千年前の平安京も
このように萩が咲いていたのだろう
湯川秀樹は
明治から昭和にかけて活躍した物理学者
ノーベル賞は1949年
中間子理論で日本人として初めて受賞した。
投稿記事 : 梨木神社 京の三名水「染井」
南禅寺の三門に登り「絶景かな、絶景かな」と言った大泥棒は誰?
歌舞伎「桜門五三桐(さんもんごさんのきり)」の
名シーンでの五右衛門のセリフ
南禅寺の三門は家のない人たちが住むには
最適な場所で
その場所から桜を見ながら
都を一望した時に言ったセリフ。
投稿記事 : 雪積もる 南禅寺
記事中の京極かねよの看板「かねよ丼」は、京都南座の( ? )を20年にわたり書かれた佐治永清さんの作品である。
京都南座の12月顔見世公演は
最も歴史が古いことで有名で
役者の名前が勘亭流(江戸文字)で書かれた
「まねき」と呼ばれる木の看板が掲げられ
京都の年末の風物詩となっている。
投稿記事 : 京極かねよ きんし丼
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