一条戻橋の河津桜堀川通一条の

一条戻橋(いちじょうもどりばし)

 

ひと足早く河津桜が花を咲かせ

見頃となっています

 

P1340338a

 

平安京造営時に造られた「一条戻橋」

以降、何度も作り直されている

現在の橋は1995年のもの

 

この橋から100m北にある晴明神社には

 

P1340363a

 

1995年まで掛かっていた橋の欄干や柱を使い

一条戻橋の縮小版がある

 

P1340350a

 

「戻橋」という名前の由来は

 

平安時代に

漢学者・三善清行(みよしのきよゆき)の葬列が

橋にさしかかった際

清行が一時蘇生した事から

 

冥府からこの世へ戻る

「あの世」と「この世」をつなぐ橋として

「戻橋」と呼ばれるようになった

 

P1340292a

 

一条通は平安京の一番北の通りであり

洛中と洛外を分ける橋でもあった

そのため、さまざまな伝承がある

 

P1340309a

 

中でも有名なのが

 

源頼光の四天王の一人渡辺綱は

愛宕山の鬼女が化けた扇折小百合(おうぎおりさゆり)に

「戻橋」で出会ったが

水面に映った影で鬼女だと知り

鬼女の片腕を刀で切り落としたというもの

 

その時の刀は「鬼切」という名で

 現在、北野天満宮で公開されている

 

P1340326a

 

また、陰陽師・安倍晴明が

式神を隠しておいた場所でもあった

 

※ 式神とは陰陽師が用いた道具・呪法で

擬人化された鶏や牛の妖怪とされている

 

P1340345a

 

歴史ある京都ならではの逸話

 

現在でも

嫁入り前の女性や縁談に関わる人々は

嫁が実家に戻って来てはいけないという意味から

この橋に近づかないという慣習があるという

 

問題

安土桃山時代の一条戻橋では、( 誰? )により島津歳久と千利休が晒し首(さらしくび)にされた

   

 

<解説>

秀吉のキリスト教禁教令のもと

1597年には

日本二十六聖人と呼ばれるキリスト教殉教者は

一条戻橋で見せしめに耳たぶを切り落とされ

殉教地長崎へと向かわされた。

 

ただし、利休の首は

「聚楽大橋」のたもとに曝されたとの記録もあり

この頃戻り橋の名は聚楽大橋すなわち

現在の中立売橋に移転されていたと考えられている。

 

 



いつも応援有難うございます!
お手数をお掛けします。 m(_ _)m

人気ブログランキングへ

ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村



About the Author


Comments are closed.


2018年9月
« 11月    
 12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930

アーカイブ







分類