一条戻橋の河津桜堀川通一条の

一条戻橋(いちじょうもどりばし)

 

ひと足早く河津桜が花を咲かせ

見頃となっています

 

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平安京造営時に造られた「一条戻橋」

以降、何度も作り直されている

現在の橋は1995年のもの

 

この橋から100m北にある晴明神社には

 

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1995年まで掛かっていた橋の欄干や柱を使い

一条戻橋の縮小版がある

 

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「戻橋」という名前の由来は

 

平安時代に

漢学者・三善清行(みよしのきよゆき)の葬列が

橋にさしかかった際

清行が一時蘇生した事から

 

冥府からこの世へ戻る

「あの世」と「この世」をつなぐ橋として

「戻橋」と呼ばれるようになった

 

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一条通は平安京の一番北の通りであり

洛中と洛外を分ける橋でもあった

そのため、さまざまな伝承がある

 

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中でも有名なのが

 

源頼光の四天王の一人渡辺綱は

愛宕山の鬼女が化けた扇折小百合(おうぎおりさゆり)に

「戻橋」で出会ったが

水面に映った影で鬼女だと知り

鬼女の片腕を刀で切り落としたというもの

 

その時の刀は「鬼切」という名で

 現在、北野天満宮で公開されている

 

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また、陰陽師・安倍晴明が

式神を隠しておいた場所でもあった

 

※ 式神とは陰陽師が用いた道具・呪法で

擬人化された鶏や牛の妖怪とされている

 

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歴史ある京都ならではの逸話

 

現在でも

嫁入り前の女性や縁談に関わる人々は

嫁が実家に戻って来てはいけないという意味から

この橋に近づかないという慣習があるという

 

問題

安土桃山時代の一条戻橋では、( 誰? )により島津歳久と千利休が晒し首(さらしくび)にされた

   

 

<解説>

秀吉のキリスト教禁教令のもと

1597年には

日本二十六聖人と呼ばれるキリスト教殉教者は

一条戻橋で見せしめに耳たぶを切り落とされ

殉教地長崎へと向かわされた。

 

ただし、利休の首は

「聚楽大橋」のたもとに曝されたとの記録もあり

この頃戻り橋の名は聚楽大橋すなわち

現在の中立売橋に移転されていたと考えられている。

 

 



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