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問題001
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国道27号から若狭に抜ける府道1号は上林街道(かんばやしかいどう)と呼ばれ、綾部市東部のこの地域は「かんばやしの里」と呼ばれている。茶の生産地としても大変著名で、( 何茶? )や静岡茶といった茶栽培の基礎を作ったと言われている。
中世この地を統治していた上林氏が
茶の栽培をはじめた。
上林氏は
丹波の赤鬼で知られる赤井直正の赤井氏と
同族であった。
室町後期
赤井氏の丹波天田郡や何鹿郡への侵攻で
かつての勢いを失いつつあった上林氏は
元々室町幕府の御茶師であったため
宇治での茶業を始めたと考えられている。
投稿記事 : 綾部市 老富(おいとみ) 100万株のシャガ群生地
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岩戸落葉神社が在る小野郷(京都市北区小野)は 、銘木( 何杉? )の産地でもあり、高度経済成長期には大変栄え、現在も手入れされた杉林や、丸太を天日干しする風景が見られる。
小野郷の周辺は
平安時代から小野山と呼ばれ
朝廷の主殿寮(※1)の領地であった。
この地域の住民は供御人(※2)として
木材、炭、松明、菖蒲役を
朝廷に納めていた。
※1 主殿寮(とのもりょう)とは、宮内省に属し、天皇が外出の際の乗り物の管理や庭の清掃、灯りに使う火の燃料の管理などを担当した役所。
※2 供御人(くごにん)とは、朝廷に属し、天皇の飲食物を貢納していた人々。
※3 誤解答の吉野杉は、奈良県中南部が産地の杉。
投稿記事 : 岩戸落葉神社 境内を黄金色に染め上げるイチョウ
荒木神社の口入れ人形は、伏見人形とも言われる土人形であるが、( 何時代? )から伏見稲荷の門前で生産販売されたと伝えられ、江戸時代には各地に製法や形式が伝播した。
※ 「口入」とは、人の縁を結ぶ仲人のこと
土人形(つちにんぎょう)は
日本古来の伝統工芸品の人形で
低火力の素焼きに胡粉をかけて
泥絵具で彩色をした人形であり
素朴な味わいが多くの人々に愛されている。
京都の「伏見人形」
福岡の「博多人形」が
代表的な土人形である。
投稿記事 : 荒木神社 キツネの口入人形
記事中のお店では、お冷がジョッキで出てきたが、そのジョッキ、材質は通常厚手のガラス製が一般的だが、最近では陶器のものも親しまれている。その陶器、京都において遠州七窯の一つとして有名な陶器は何か?
遠州七窯(えんしゅうなながま)とは
江戸時代中期の茶人、小堀遠州(1579-1647)が
自分好みの窯として
切型などを送って造らせたとされる
茶道具の窯七ヶ所に対する呼称。
朝日焼(あさひやき)は
京都府宇治市で焼かれる陶器
宇治茶の栽培が盛んになるにつれ
茶の湯向けの陶器が焼かれるようになった。
投稿記事 : 焼き肉屋さんでランチ 「牛々亭」 韓風チゲラーメン
京提灯は、一定の長さの「平竹」を一周ずつ止めていく( 何式? )という独特の製法が特徴である。
提灯は
室町時代(14~16世紀)に
夜道を照らす道具とされたのが始まりである
京都で盛んになったのは江戸時代で
神仏の道具として生産・使用された。
投稿記事 : また食べたくなる王道の味「麺乃家」 鶏ガラ醤油ラーメン
近世以降の京都の窯から生まれた焼き物を( 何焼? )という。
京都における焼き物等の開花は
安土桃山文化の時代からであると考えられる。
投稿記事 : 信楽 宗陶苑 陶芸体験①
宇治茶栽培は、( 何時代? )からといわれ、土質、地形等自然条件がよく、宇治で栽培が拡大した。
14世紀半ば、喫茶の習慣が広がり
宇治茶は一級品の贈答品とされ
産地を飲み当てる「闘茶」も行われた。
その後、喫茶と料理が組み合わされ
座敷飾りや茶道具を鑑賞する
「茶の湯」が登場し広まっていった。
投稿記事 : お茶くらべ 「中村藤吉」「伊藤久右衛門」
綾部市黒谷町で、平家の落武者が子孫へ残す技として、始めたものと伝えられる産業は何か。
800年前に平家の落ち武者の
子孫が始めたとされる黒谷和紙は
伝統的な手すきの技法を守り伝え
京都府無形文化財の指定を受けています。
投稿記事 : 天文館パオ ペルセウス流星群
京都市の伝統産業に指定されているカバンは何か。
京都市の伝統産業とは
日本の伝統的な文化および生活様式に
密接に結び付いている製品や
その他の物を作り出す産業のうち
京都市内において企画がされ
かつ、その主要な工程が経られるものをいう。
投稿記事 : HAGLOFS CASTOR
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