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問題001
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松尾大社の境内に在る( 何という庭? )は、昭和50年(1975年)に完成した庭園である。
松風苑は3種類の庭園からなり
それぞれ「上古の庭」は上古風に磐座を模した庭園
「蓬莱の庭」は鎌倉時代風に蓬莱島を模した庭園
「曲水の庭」は平安時代風に清流が流れる様を模した庭園
これらは近代の作庭家の重森三玲最晩年の作で
その代表的なものであり
昭和の日本庭園を代表するものの1つとされる。
投稿記事 : 松尾大社 申の大絵馬
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法金剛院の境内には浄土式庭園が在り、その一隅にある青女の瀧(せいじょのたき)は( ? )の人工滝とされており、国の特別名勝に指定されている 。
青女の滝は
平安時代から鎌倉時代にかけて
築造された日本庭園の形式の
「浄土式庭園(じょうどしきていえん)」の遺構である。
待賢門院の発願により
林賢と静意の作と伝わる。
投稿記事 : 法金剛院 2015年では珍しい赤の紅葉
円山公園は明治維新までは( ? )や円山安養寺の境内の一部であったが、明治初年の廃仏毀釈の一環として、1871年(明治4年)に上知令(じょうちれい)によって土地が政府に没収され、1886年(明治19年)に総面積約9万平方メートルの公園が設けられた。
※ 上知令=1840年代から1870年代にかけて、江戸幕府や明治政府が出した土地没収の命令
1887年(明治20年)には京都市へ移管され
京都市初の都市公園となったが火災で焼失
1912年(大正元年)に小川治兵衛により
池泉回遊式の日本庭園が作庭され
現在の形となった。
投稿記事 : 円山公園 長楽寺に続く紅葉
広沢池は平安時代の中期、989年(永祚元年)に( 何寺? )の建立にあわせ庭池として本堂の南に造営されたとも言われている。
平安時代に作られた池は
遍照寺と共に廃れて行ったが
明治時代に、地元の人々の協力で修復された。
投稿記事 : 広沢池 恋人が集う紅葉
長岡天満宮の本殿への参道の途中にある( 何池? )の周辺は、回遊式庭園「紅葉庭園 錦景園」として近年整備されたものである。
回遊式庭園は日本庭園の形式のひとつで
園内を回遊して鑑賞する庭園。
園内を回遊する形式の庭園は
日本以外にも存在するが
回遊式庭園という語は
主に日本庭園のみを指して用いられる。
投稿記事 : 長岡天満宮 夕景と紅葉
渉成園(しょうせいえん)は、9世紀末に( 何天皇? )の第12子・源融が奥州・塩釜の風景を模して作庭した六条河原院の故地とされる。
渉成園付近に
今ものこる塩竈町や塩小路通などの地名は
その名残りされている。
投稿記事 : 渉成園 スラムダンクの井上雄彦が描く「屏風」親鸞聖人
記事内容から、期間限定メニューの「さんまのチリソース炒め」が美味しかった鐘園亭。期間限定といえば近くに在る「清水寺」の境内にある( どこ? )の庭園が期間限定で公開される。
成就院には
「月の庭」と呼ばれる国指定の名勝がある
いくつもの奇石や石灯籠と
五葉松・侘助椿(わびすけつばき)が
美しい庭園美を構成してる。
毎年
春と秋に、昼と夜に分け
期間限定で公開されている。
投稿記事 : 鐘園亭 期間限定「さんまのチリソース」
東本願寺の東側にある庭園( ? )は、東本願寺の僧侶である宣如(せんにょ)が、石川丈山(いしかわじょうざん)らとともに作庭した。
渉成園は
別名「枳殻邸(きこくてい)」とも呼ばれて
東本願寺の飛地(とびち・別邸)である。
1641年、三代将軍「徳川家光」によって
東本願寺の僧侶「宣如(せんにょ)」に
寄進された土地に屋敷を造り
詩仙堂を設計した石川丈山(いしかわじょうざん)によって
作庭された。
投稿記事 : 東本願寺 お堀めぐり
平安神宮神苑は、敷地面積が約10,000坪の日本庭園で、明治から昭和にかけての名造園家である7代目( 誰? )が20年以上かけて造った名園で、国の名勝に指定されている。
平安神宮神苑は
琵琶湖疏水から水を引き入れており
琵琶湖では外来魚のために見かけることが出来なくなった
イチモンジタナゴが生存していることが確認されている。
神苑には人里には少ない
カワセミやオオタカなどの鳥類や
甲羅に草を生やすミノガメ
日本では非常に珍しいミナミイシガメなどが棲息している。
投稿記事 : 「秋の七草」を求め 2015(6)平安神宮
勧修寺の庭である氷池園(ひょうちえん)は、氷室池を中心とした( 何庭園? )である。
池泉回遊式庭園は
大きな池を中心に配し
その周囲に園路を巡らして
築山、池中に設けた小島、橋、名石などで
各地の景勝などを再現した。
園路の所々には、散策中の休憩所として
また、庭園を眺望する展望所として
茶亭、東屋なども設けられた。
投稿記事 : 勧修寺 氷室池の蓮
大沢池は日本では最も古い人工の林泉で、( 何天皇? )が離宮嵯峨院を造る際に、中国の洞庭湖(どうていこ)をモデルとして設計された。
大沢池は庭湖とも呼ばれる
周囲約1キロの平安時代に造られた人工池
水面は約23,000平方メートルもあり
大小二つの島が浮かんでいる
大きい島は「天神島」で天神社が鎮座しており
小さい島は秋には嵯峨菊が咲いて
「菊が島」と呼ばれている。
投稿記事 : 大沢池ぶらり一周 蓮と猫とトンボ
退蔵院の庭で、1931年に国の名勝史跡庭園に指定された「都林泉名勝図会(みやこりんせんみょうしょうずえ)」でも紹介されているものは何か?
元信の庭は
室町時代後期の画家の狩野元信が
一年中変わらない美しさ「不変の美」を追求し
晩年に作庭したものである。
投稿記事 : 退蔵院 春を彩る花
龍安寺の石庭には、海外の要人が数多く訪れている。とりわけ1975年の( だれ? )は影響が大きく、それ以来多くの外国人観光客が訪れている。
エリザベス女王が
日本を公式訪問した際に
石庭の見学を希望
女王が石庭を絶賛したことが海外で報道され
世界各地で日本ブームが起こり
石庭の観光客は日本人より
海外の来訪者の方が多くなった。
投稿記事 : 龍安寺の石庭と蹲
東福寺、方丈の庭園は1939年(皇紀2599)昭和14年に造園家( だれ? )の作である。
東福寺の方丈庭園は
東西南北の四庭からなり
釈迦の八相成道(はっそうじょうどう)の
八相にちなんで「八相の庭」と称されいる。
※ 八相成道とは、お釈迦さまの人生を表す八つの段階や局面のこと。「入胎」「誕生」「処宮」「出家」「降魔」「成道」「転法輪」「入滅」
投稿記事 : 東福寺 日本最大最古の禅宗式トイレ
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