京都検定予想問題(美術)■■■ 京都検定予想問題(美術) ■■■

 

問題001

京都検定予想問題・検索ページ

 

 

問題012

愛宕念仏寺の本堂内の本尊「千手観音」は、( どんな動作で? )念仏を唱える姿をしており、鎌倉時代の肖像彫刻(※)の逸品と言われている。

   

 

<解説>

愛宕念仏寺の本堂は度々移建され

補修を加えられてきたが

鎌倉時代中期の和様建築の代表的な遺構で

国の重要文化財に指定されている。

 

※ 鎌倉時代の肖像彫刻とは、現実の人間描写に焦点が絞られ、外面的特徴が執拗(しつよう)に追求された。

 

投稿記事 : 愛宕念仏寺 羅漢像と紅葉

▲ページの先頭へ戻る

 

問題011

記事中の「ひがん花の里」がある亀岡市曽我部町(旧:丹波国桑田郡穴太村)出身の江戸時代中期~後期の絵師で、「足のない幽霊」を描き始めた画家とも言われている人物は誰か?

   

 

<解説>

円山 応挙は

近現代の京都画壇にまでその系統が続く

「円山派」の祖であり

写生を重視した親しみやすい画風が特色。

 

※ 京都画壇は、一般的に明治以後の京都美術界のこととされている。

※ 画壇(がだん)とは画家の社会

 

投稿記事 : 真っ赤な花が咲き広がる「ひがん花の里」

▲ページの先頭へ戻る

 

問題010

尾形光琳(おがた こうりん)の代表作のひとつである「紅白梅図屏風」は、( 何処? )の東方にあった屋敷の2階の画室で描かれたと推定されている。

   

 

<解説>

光琳は5年ほど江戸に滞在した後

宝永6年(1709年)に京都へ戻っている。

 

正徳元年(1711年)には

京都の新町通り二条下ル(二条城の東方)に新居を構えた

「紅白梅図屏風」は光琳晩年の作とされ

この屋敷の2階の画室で描かれたと推定される。

 

投稿記事 : 下鴨神社 光琳の梅

▲ページの先頭へ戻る

 

問題009

「賽(さい)の河原」の物語をつくった空也上人(くうやしょうにん)の彫像は、( 何寺? )が所蔵する立像が最も有名で、国指定の重要文化財である。

※ 仏師運慶(うんけい)の四男である康勝(こうしょう)の作

   

 

<解説>空也上人(くうやしょうにん)の彫像は

首から鉦(かね)を下げ

鉦を叩くための撞木(しゅもく)と鹿の角のついた杖をもち

わらじ履きで歩く姿を表している。

 

6体の阿弥陀仏の小像を針金で繋ぎ

開いた口元から吐き出すように取り付けられている

この6体の阿弥陀像は「南無阿弥陀仏」の6字を象徴し

念仏を唱えるさまを視覚的に表現している。

 

後世に作られた空也の彫像・絵画は

全てこのような造形・図像をとる。

 

投稿記事 : 駅の呼び名 と 高山寺(西院)

▲ページの先頭へ戻る

 

問題008

知恩院前に住居を構えていた( 誰? )は、江戸時代の元禄年間(1688年~1703年)を中心に京都で活躍した扇絵師で、着物の友禅模様という名称の基になった扇絵や小袖の雛形(ひながた)を描いた。

   

 

<解説>

宮崎 友禅斎は

来歴不明で出家であったことぐらいしか解っていない

扇面に描いた絵が「友禅扇」と言われ流行したことから

着物(小袖)のひながた(雛形)を描く

友禅模様は、男女、貴賎を問わず評判になり

後に友禅という名は

着物の模様や染織技法も指す言葉になった。

 

投稿記事 : 知恩院 フライングの紅葉

▲ページの先頭へ戻る

 

問題007

東郷青児が生まれた1897年は、京都国立博物館が開館した年であり、本博物館では( 何時代? )から江戸時代にかけての京都の文化を中心とした文化財を、収集・保管・展示するとともに、文化財に関する研究、普及活動を行っている。

   

 

<解説>

平常展示のほかに

特別展が1年に2~4回行われている。

 

投稿記事 : 喫茶ソワレ と 東郷青児

▲ページの先頭へ戻る

 

問題006

国宝に指定されている東寺の不動明王坐像は、金箔をはりあわせて厚みをもたせ、それを細かく切り、仏像や仏画などにはりつけて装飾する伝統的な技法( ? )が施されている。

   

 

<解説>

截金は

大陸から6世紀頃に伝わって来た。

 

飛鳥時代の

法隆寺金堂の四天王像が最古といわれている。

 

投稿記事 : 東寺 五重の塔と蓮

▲ページの先頭へ戻る

 

問題005

二条城二の丸御殿に残る豪華絢爛な障壁画は( 何派? )の絵師によって描かれた。

   

 

<解説>

狩野派は日本絵画史上最大の画派であり

室町時代中期から江戸時代末期までの

約400年にわたり活動

室町幕府の御用絵師となった狩野正信を始祖とし

その子孫は

織田信長、豊臣秀吉、徳川将軍などに絵師として仕え

その時々の権力者と結び付いて常に画壇の中心を占め

あらゆるジャンルの絵画を手掛ける職業画家集団として

日本美術界に多大な影響を及ぼした。

 

投稿記事 : 二条城の南側 キムチ専門店「キムチのミズノ」

▲ページの先頭へ戻る

 

問題004

野々村 仁清(ののむら にんせい)、尾形 乾山(おがた けんざん)とならんで、「京焼三陶工」といわれているのは誰か。

   

 

<解説>

青木木米(1767〜1833)は、

頴川門下のなかでも秀才で

高い教養をもった文人でもあった

木米の陶磁器は

文人としての素養の側面が大きいといわれている。

 

投稿記事 : 信楽 宗陶苑 陶芸体験②

▲ページの先頭へ戻る

 

問題003

美山町出身で、江戸時代前期の陶工で京焼の祖といわれているの誰か。

   

 

<解説>

京焼色絵陶器を完成させたと言われている

粟田口や瀬戸で陶芸の修業をしたのち京都に戻り

正保年間(1644年 – 1648年)頃

仁和寺の門前に御室を開いた。

 

投稿記事 : 美山かやぶきの里 雪灯廊

▲ページの先頭へ戻る

 

問題002

妙心寺のの塔頭「退蔵院」にある如拙(じょせつ)が描いた国宝の水墨画を何というか。

   

 

<解説>

室町幕府将軍足利義持の命令により

ひょうたんでナマズを押さえるという

禅の公案を描いたもの。

1415年(応永22年)以前の作で

国宝に指定されている。

 

投稿記事 : 妙心寺 明智風呂

▲ページの先頭へ戻る

 

問題001

江戸時代の芸術家である( だれ? )に元和元年(1615年)に徳川家康が鷹峯の地を与えた。光悦の死後に屋敷は寺となり、光悦寺となる。

   

 

<解説>

「本阿弥行状記」によれば

光悦寺のある鷹峯は昔

「辻斬り追い剥ぎ」の出没する物騒な土地であったが

光悦の一族や様々な工芸の職人らが移り住み

芸術の集落となった。

 

投稿記事 : 引き込まれてしまう参道  光悦寺

▲ページの先頭へ戻る

 

 

 



Comments are closed.


2018年11月
« 11月    
 1234
567891011
12131415161718
19202122232425
2627282930  

アーカイブ







分類