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問題124

志明院(しみょういん)が在る「雲ケ畑(くもがはた)」は( 何川? )の水源地であり、この地が汚染されると、下流の京都御所、ひいては京都の街一帯に幅広くその影響が及ぶため、雲ケ畑の住民はこの水をけがさないように心得て生活をしてきた。

   

 

<解説>

雲ケ畑では昭和30年代まで

汚れとされていた死者の埋葬に際しても

この地を避けて持越峠を越えた

真弓集落まで運び埋葬の段取りを済ませていた。

 

かつては

おむつをゆすぐこともできなかったという。

現在でも、地元農協の女性部では

「手作り廃油石鹸」の使用を奨励し

生活排水をきれいに保つよう努力している。

 

雲ケ畑の森林のおよそ3分の2は

「水源かん養保安林」に指定され

伐採の許可が必要なのはもちろん

伐採量も厳しく制限され

賀茂川の治水に貢献している。

 

投稿記事 : もののけ姫のアイデアの一部ともなったパワースポット「志明院」

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問題123

鳥羽(とば)とは、京都洛外、山城国紀伊郡に属し、鴨川と( 何川? )の合流地点の低湿地にあり、鳥羽郷(とばごう)・鳥羽荘(とばのしょう)などと呼ばれた地域を指す名称。現在では京都市でも南区に属する上鳥羽・伏見区に属する下鳥羽に分割されている。

   

 

<解説>

かつて鳥羽は

平安時代中期に作られた辞書「和名類聚抄」では

「止波/度波」という訓読みを入れている。

 

平安遷都以後

朱雀大路を羅城門から真南に延長した

鳥羽作道が作られ

その道は鳥羽で淀川水系と接し

このため、鳥羽の河岸には鳥羽津(※)が築かれた。

 

※ 津(つ):古来の船が停泊する船着き場

 

投稿記事 : 鳥羽水環境保全センター「鳥羽の藤」一般公開

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問題122

( 何川? )に架かる北大路橋と北山大橋の間の散策路 「半木の道(なからぎのみち)」の名前の由来は、近くにあった流木神社が繰り返し洪水の為に流されることを嫌って流木(ながれぎ)を半木(なからぎ)に変えたといわれている。

   

 

<解説>

半木の道の東側にある京都府立植物園には

神木が流れついたという

流木(ながれぎ)神社の森があり

現在その場所(植物園内)には

天太玉命(あめのふとだまのみこと)を御祭神とする

上賀茂神社末社の半木神社が鎮座している。

 

投稿記事 : 半木の道(なからぎのみち)八重紅枝垂桜のトンネル

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問題121

記事中のお店の前の通り「後院通(こういんどおり)」は、地元では( ?通り )と呼ばれていた。

   

 

<解説>

後院通の沿線に

京都市電の壬生車庫が

設置されていたことから

車庫前通りと呼ばれていた。

 

投稿記事 : 京一本店 ご飯が隠れるほどお肉がたっぷり「肉玉丼」

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問題120

記事中のお店の住所は「京都市右京区嵯峨越畑」、この越畑(こしはた)という地名は( ?山 )の腰部に位置していたことが由来となっている。

   

 

<解説>

当初は腰畑村と呼ばれていたが

後に越畑村に改められた。

 

平安時代初期の弘仁5年(814年)

愛宕山白雲寺の僧侶が

丹波国を訪れた際

道中に人家がなく往来に不便だと感じ

愛宕山参詣者の交通の便を良くするために

当地に移住して越畑を開拓した。

 

投稿記事 : 蕎麦屋まつばら ソバの花を眺めながらの十割手打ち蕎麦

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問題119

近世には、丹波国と山城国を結ぶ道(現在の亀岡市と京都市を結ぶ道)がふたつしかなく、ひとつは記事中の「水尾」を通る水尾越え。もうひとつは、現在の国道9号の経路をたどる( ?峠超え )であった。

   

 

<解説>

このため水尾は繁栄し

人口が1,000人に近い時代もあったが

延宝7年(1679年)と天保6年(1835年)に大火があり

延宝の大火では85戸中82戸が

天保の大火では20戸が焼失した。

 

明暦4年(1658年)の戸数は77

明和2年(1765年)は72

天保6年(1835年)は55であり

明治10年代の戸数は49に減少。

 

1900年(明治33年)には

現在のJR山陰本線が

亀岡盆地を通って京都と園部をつなぎ

その経路から大きく外れた水尾は寂れていく。

 

2010年(平成22年)の国勢調査によれば

水尾には27世帯・56人が暮らしている

20歳以下人口は0人

65歳以上人口は28人で

高齢者人口割合が50%の限界集落である。

 

投稿記事 : 水尾フジバカマ鑑賞会でアサギマダラを堪能

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問題118

お店の前の西洞院通は、かつて道の( ? )に西洞院川と呼ばれる河川が流れていた。

   

 

<解説>

現在、西洞院川は

全て暗渠(あんきょ:地下に設けた水路)となっている

1960年代までは小川通と西洞院通の

民家の間を小さな川が流れていた。

 

投稿記事 : 京都では味噌つけ麺で有名な「吟醸らーめん 久保田 本店」の吟醸つけ麺味噌並

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問題117

一条通は京都市の主要な東西の通りの一つで、東端は( 何通? )通、西は右京区花園付近までだが、さらに西に延長して嵯峨野の清凉寺(嵯峨釈迦堂)までを一条通と呼ぶこともある。

   

 

<解説>

一条通は、平安京の北端の通りであったが

平安中期以降は

一条大路を越えて北へ市街地が拡大した。

 

御所の北端の大路という位置付けは

現在その北側を走る今出川通が果たしている。

 

現在は

市中心部では一方通行の狭い通りであり

堀川にかかる一条戻橋が有名である。

 

投稿記事 : 成願寺 枝垂れ桜とシャガ

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問題116

阪急の西京極駅(にしきょうごくえき)は、( ? )という副駅名が付されている

   

 

<解説>

駅名の「西京極」は平安京の

西端の南北道路である西京極大路に由来し

西京極大路の延長線上に当駅が存在する。

 

駅が開業した際

この付近は京都府葛野郡京極村であった。

 

投稿記事 : 阪急京都本線 西京極駅近く 桜の壁

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問題115

記事中の陽光桜の近くを通る「高倉通(たかくらどおり)」の名前は、平安時代この通り沿いに( 何氏? )の別邸である高倉殿があったことに由来する。

   

 

<解説>

高倉通は京都市の南北の通りの一つ

平安京の高倉小路にあたる。

 

北は丸太町通から南は高倉跨線橋まで至り

跨線橋を越えて竹田街道に接続する

途中、渉成園により中断している

全長約3.5キロ

 

投稿記事 : 高倉御池交差の陽光桜

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問題114

記事中のお店が在る場所は京都府長岡京市神足(こうたり)、この神足という地名は長岡京時代の( 何天皇? )が、現在の神足に神様が降り立った夢を見た事に由来する。

   

 

<解説>

夢の神様こそが、神足の名の由来であり

神様が来てくださったという事が

「神至り(かむいたり)」となり

それが転じ、以後地名となった。

 

ちなみに「足」という漢字になった理由は

桓武天皇はその神様の足元しか

見る事が出来なかったと言われている。

 

投稿記事 : 石田てっぺい長岡京店 キャベツ山盛りラーメン

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問題113

記事中のお店住所は、京都市中京区聚楽廻(じゅらくまわり)。これは千本丸太町の南西一帯の地名で、( 誰が? )が1587年(天正15)、大内裏旧跡に築いた城郭「聚楽第」の南西部にあり、当時から聚楽廻とも呼ばれていた

   

 

<解説>

聚楽第(じゅらくだい)は

豊臣秀吉が1587年(天正15)京都に造営した

華麗壮大な城郭風の邸宅

東西600メートル、南北700メートルという

二条城より一回り大きい規模で

周囲に堀をめぐらしていた。

 

1595年(文禄4)秀次を謀反の疑いで追放し

秀次の居城であった聚楽第も破却

大徳寺唐門・妙覚寺表門は遺講。

 

投稿記事 : クルミたっぷりフカフカ大きなパン「手作りパン工房コネルヤ」のエンゼルノア

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問題112

記事中のお店近くには「大手筋商店」が在るが、大手筋とは、城の大手門につながる筋(通り)のことで、京都市伏見区にあるこちらの大手筋は、( 何城? )の大手筋である。

   

 

<解説>

 伏見桃山駅と風呂屋町通(納屋町通)の間は

「伏見大手筋商店街」というアーケードになっている。

 

御香宮前より大手筋交差点(国道1号)までは

京都府道79号伏見柳谷高槻線の一部である。

 

投稿記事 : 外はサクサク中はジューシー「来満さん」の唐揚げ

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問題111

賀茂大橋の下は、賀茂川と高野川の合流地点となっており、2つの川がつくるデルタの先は、その形状から( ? )と呼ばれている。

   

 

<解説>

合流地点より上流を「賀茂川」

下流を「鴨川」と表記しているが

歴史的にはそういう区別はなく

上流を「鴨川」、下流を「賀茂川」「加茂川」と書く

例も多くある。

 

投稿記事 : 賀茂大橋下 河川敷に咲く「いぼ桜」

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問題110

伏見区深草の「深草」は、( 何物語? )にも登場する古い地名で、深草郷→深草村→伏見区深草と変遷してる。

   

 

<解説>

本節は諸説あるうちのひとつで

【深】は「深田」「泥田」を意味する

【草】は、 水辺の底湿地を意味する

深草郷がそのような土地であったとされる。

 

投稿記事 : ドロ系が頑固ソース投入で超ドロ系になる「頑固麺」の特製鶏豚骨ラーメン

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問題109

記事中の店舗沿いを走る「高辻通」は、四条通と五条通の真ん中を走る都市計画道路で、( 何時代? )の高辻小路であった。

   

 

<解説>

高辻通は平安期から鎌倉期を通して

一般町人の住居地区であった。

 

室町期には東洞院通から大宮通に掛けて

商工業街として発達していた地区もあった。

 

投稿記事 : 食欲をそそるレッドカラー「マンボ飯店」の坦々麺

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問題108

京都・長岡の土地は、生前の菅原道真公が詩歌管弦(しいかかんげん)を楽しまれていた場所で、( 何処へ? )へ左遷された時に立ち寄った地でもある。

※ 詩歌管弦とは、漢詩や和歌を吟じたり音楽をかなでたりすること

   

 

<解説>

菅原道真公が

大宰府へ左遷された時に立ち寄った際

「我が魂長くこの地にとどまるべし」

と名残を惜しんだ。

 

その後

近臣たちが菅原道真公自作の木像を祀ったのが

長岡天満宮の始まりと伝えられている。

 

投稿記事 : 長岡天満宮 菅原道真公が名残を惜しんだ梅

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問題107

伏見区の南西に位置する「淀」、( 何時代? )には「与度津」を呼ばれ京の都の外港となっていた。

   

 

<解説>

「淀」の近くでは

桂川、宇治川、木津川の三河が合流し淀川となる

そのため大阪平野へつながる

水陸交通の要衝となっていた。

 

戦国時代にかけては城が築かれ

城下町として発展

「淀」は各時代で重要な役割を果たし

歴史を刻みながら変遷を続けてきた。

 

投稿記事 : 淀水路 満開の早咲き河津桜

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問題106

記事中のお店の在る伏見区深草は、古代より深草遺跡で知られているように農耕が営まれ、京都盆地を開発した渡来人( 何氏? )の拠点でもあった。

   

 

<解説>

朝鮮半島南部から渡来してきた秦氏

深草の地に住み着き

携えてきた新しい殖産技術で

一帯を支配するようになったのは

5世紀前半ごろと推測される

深草は秦氏の山城盆地における拠点の一つだった。

 

投稿記事 : 激狭なお店「フカクサ製麺食堂」 おさかな鶏白湯ラーメン(泡系)

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問題105

記事中のお店近くを通る「六条通」の様に条数を名前に持ち、平安京の大路に由来する三条通・四条通・五条通・七条通が幹線道路になっているのに対し、現在の「六条通」は( 何道路? )である

   

 

<解説>

六条通は

烏丸通から西、堀川通までは

自動車はおろか原付バイクの離合(すれ違い)さえ

困難を来たすほど細くなっている。

 

また、東洞院通から富小路通の間は

北側に旧六条通があり

烏丸通以西と同様に細い通りとなっている。

 

投稿記事 : ラーメン店大宝 真っ赤なスープの旨辛味「大宝麺」

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問題104

記事中のお店前の師団街道(しだんかいどう)は、( 何師団? )の設置に伴い、明治44年(1911年)に京都市街から師団司令部に至る国道として指定された。

   

 

<解説> 

師団街道(しだんかいどう)は

現在の伏見区深草の地にあった

大日本帝国陸軍第十六師団に因む。

 

墨染寺に通じていることから

かつては墨染通(すみぞめどおり)と呼ばれた。

 

投稿記事 : 「中国料理 西海」 庶民派中華店 名物皿うどん

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問題103

記事中のお店前を東西に走る木津屋橋通(きづやばしどおり)は、東は東洞院通から西は( 何通? )まで。

   

 

<解説> 

木津屋橋通は

平安京の塩小路にあたる

木津屋橋の名の由来は諸説あるが

関係がありそうなものとしては

別名、生酢屋橋と言い

酢を商う家が多かった事による。

 

また、堀川より西側に木津屋町の町名が残っているが

木津屋橋はこの堀川にかかっていた橋でもある。

 

投稿記事 : 恵比朱 京都らしい鶏ガラ醤油背脂系ラーメン

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問題102

記事中のお店の横を通る麩屋町通(ふやちょうどおり)は京都市内の南北の通りの一つ。北は丸太町通から南は( 何通? )まで。

   

 

<解説> 

麩屋町通の由来は

元々麩を商うお店が集まっていた事。

 

近くには寺院も多く

精進料理に欠かせない麩の需要は多く

麩づくりに欠かせない水も

なめらかな地下水が豊富に流れていたため

麩をつくるお店が多かった。

 

投稿記事 : 京都三大旅館に豆腐を卸す「平野とうふ」

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問題101

記事中のお店前の「油小路通」は、京都市内の南北の通りでは最長で、南は城南宮から北は( 何通? )まで伸びている。

   

 

<解説> 

油小路通は

平安京の油小路に当たる。

 

応仁の乱で四条通から南は荒廃したが

豊臣秀吉の京都改造で再開。

 

JR線から南は堀川通の延長になり

産業道路として重要。

 

投稿記事 : 「金の豚」 豚と醤油の旨さが感じ取れるラーメンに炒飯をセット

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問題100

記事中のお店前の高辻通(たかつじどおり)は、京都市の東西の通りの一つで、東は鴨川右岸堤防から西は( 何街道? )までを通っている。

   

 

<解説> 

天神通から阪急京都本線に

突き当たるまでの区間では

一筋北を高辻北通が

一筋南を高辻南通が並行している。

 

投稿記事 : 老舗パン屋「マンハッタン」 1日に150本以上も売れる「あんバタ」

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問題099

記事中のお店近くを通る「後院通(こういんどおり)」は、千本通と( 何通? )を結ぶ通りである。

   

 

<解説>

明治時代に京都市三大事業の一環として

市電敷設と同時に街路建設を行った際に、

千本通を拡張して市電を通そうとしたが

西高瀬川の水運を利用して発展した木材業者が

「通が広くなると同業者が分断される」と

反対したために

南に延ばすことが出来ずに

千本三条交差点から

四条大宮交差点に向かって

斜めに道路を建設したものが後院通であり

そこに市電の線路が敷かれた。

 

投稿記事 : 喫茶店uzuビバレッヂ 16穀米のたまご粥モーニング

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問題098

記事中のお店前の北山通は、 戦前の都市計画により建設が開始され、( 何年? )に全線開通した通りである。

   

 

<解説>

北山通は

区画整理された折に

幹線道路として

十二間幅(約21.8m)で造られたため

地元では十二間通(じゅうにけんどおり)という

愛称でも知られる。

 

投稿記事 : 「ブリアン北山店」 パン食べ放題、コーヒー飲み放題のモーニング

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問題097

西大路八条交差点近くにある、記事中の「極太清流らーめん」、その八条通は平安京の八条大路にあたり、東西はほぼ鴨川から( 何川? )までを結ぶ。

   

 

<解説>

八条通は

京都駅の南側は4車線以上ある大通りで

東海道新幹線の開通によって発展した。

 

2009年

河原町通の八条坊門立体交差事業が

完成したのと同時期に

竹田街道から河原町間が4車線化された。

 

※ 八条坊門立体交差事業とは、国道24号(河原町通)のJR東海道本線のアンダーパス部分を大型車両の通行ができるよう、4車線に拡幅するとともに、桁下空間を4.5mに広げるもの(平成21年9月に完成)

 

投稿記事 : 二郎インスパイア系 極太清流らーめん

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問題096

お店の前は七条通、西へ行けば大宮通、東へ行けば猪熊通が南北に走っている。その猪熊通は平安京の何小路にあたるか?

   

 

<解説>

猪熊通は

堀川通の西方で大宮通の東に位置し

北区の御薗橋西詰(御薗橋通と加茂街道の交差点)から

南区の十条通まで通じる。

 

ほぼ全線にわたり住宅街の中を通る

通行量の少ない通りである。

 

投稿記事 : コミック本が充実している喫茶店「虹」のワンコインモーニング

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問題095

投稿記事の撮影場所である京都府道209号長法寺向日線(きょうとふどう209ごう ちょうほうじむこうせん)は別名何と呼ばれているか。

   

 

<解説>

京都府道209号長法寺向日線は

京都府長岡京市粟生川久保・粟生北開を起点に

向日市向日町南山・鶏冠井町楓畑に至る

一般府道である。

 

投稿記事 : 2016年 初日の出

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問題094

お店の前の京都府道132号太秦上桂線( うずまさかみかつらせん)は、別名何街道と呼ばれているか。

   

 

<解説>

京都府道132号太秦上桂線は

京都市右京区太秦交点を起点に

京都市西京区上桂東居町交点に至る

一般府道である。

 

投稿記事 : お姫様階段のあるお店「CLOVER(クローバー)」のモーニング

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問題093

柳馬場(やなぎのばんば)通の由来は、1604年の( 何神社? )の臨時祭にて、高倉通から鴨川にかけて広がっていた原野で馬揃が行われ、その際に柳の木が植えられたことから柳馬場の名がついた。

※ 馬揃え(うまそろえ)とは、騎馬を集めてその優越を競いあう武家の行事

   

 

<解説>

柳馬場通は

平安京の万里小路(までのこうじ)にあたる。

 

応仁・文明の乱による荒廃後

豊臣秀吉の市街地改造によって再開された

近世にも旧名の万里小路と呼ばれることもあった。

 

投稿記事 : 柳馬場御池交差点 冬に咲く御池桜

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問題092

記事中のお店前の大徳寺通(だいとくじどおり)は、地元からは旧大宮通(きゅうおおみやどおり)、または( 何街道? )の名で親しまれている。

   

 

<解説>

大徳寺通は

北は西賀茂蟹ヶ坂町南側を

南は建勲通をそれぞれ起終点とする。

 

大宮地域以南では

一筋東を大宮通(新大宮通)が並行して通っている

これは、昭和初期以降に実施された

土地区画整理事業によって

延伸されたものである。

 

投稿記事 : 本家 磯田 大徳寺に伝わる保存食「大徳寺納豆」

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問題091

小川通(おがわどおり)は京都市内の南北の通りの一つ、平安京には存在せず、( 誰? )による天正の地割で新設された通りである。

   

 

<解説>

小川通は

北は紫明通から南は錦小路通まで。

 

名前の由来は

一条以北に昭和後期まで流れていた

小川(こかわ)にちなむ。

 

投稿記事 : 路地中の隠れ店「河村食堂」でハンバーグランチ

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問題090

記事中のお店東側には馬代通(ばだいどおり)が南北に走っているが、その馬代通は( 何通? )の西に位置し北は北区の立命館大学付近のきぬかけの路から南は中京区の太子道の南までとなっている。

   

 

<解説>

馬代通は

平安京の馬代小路(ばだいこうじ)に該当する。

 

投稿記事 : 「安」「旨」「デカ」 ジャンボのお好み焼き

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問題089

記事中のお店前の葛野大路通(かどのおおじどおり)は、平安京の( 何小路? )に、ほぼ該当している。

   

 

<解説>

葛野大路通の道路名は

当地が山城国葛野郡であることによる。

 

北側は暫定的に太子道までが開通しており

太子道以南で御池・三条・四条・五条・七条・八条・九条・

久世橋・祥久橋(第二久世橋)・津知橋通等と交差する。

 

投稿記事 : キラメキ チキンハートの台湾まぜそば直太朗

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問題088

記事中のお店前を走る京都外環状線(きょうとそとかんじょうせん)は、京都市山科区外環三条交差点から( 何処? )を経由して長岡京市今里付近に至る道路である。

   

 

<解説>

京都外環状線は

基本的には市道外環状線だが

いろいろな主要地方道、府道が

重複している道路である。

 

京都市周辺の環状道路には

他に京滋バイパス

京都第二外環状道路と

京都市道181号京都環状線がある。

 

投稿記事 : 「麺家 影武者」 鶏ガラ、豚骨、野菜を煮込みポタージュ状スープにしたラーメン

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問題087

イルミネーションが行われている佐井通りは別名( 何通り )とも呼ばれている。

   

 

<解説>

佐井通りは

四条通との交差点付近に春日神社があるため

春日通とも呼ばれる。

 

地域によっては

こちらの名前の方がよく知られているために

一部の道路標識では

春日通の名を併記したものも見られる。

 

投稿記事 : ロームイルミネーション2015

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問題086

記事中のお店前を走る大宮通は、京都市の主要な南北の通りの一つで、平安京の( 何大路 )に当たる。

   

 

<解説>

北は鹿ノ下公園(北区西賀茂榿ノ木町)南側を

南は久世橋通を起終点とする。

 

途中竹屋町通と押小路通の間で

二条城によってとぎれており

また江戸時代におかれた所司代屋敷の拡築で

丸太町通と竹屋町通間が狭くなっている。

 

投稿記事 : カレー専門店と喫茶店のお店「CALI CALI」 チキン&キーマのコンビネーションカレー

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問題085

記事内容から、今回走行した京都府道50号京都日吉美山線は、京都市右京区嵯峨釈迦堂前を起点に南丹市美山町三埜に至る主要地方道であるが、途中( 国道何号? )が嵯峨越畑北ノ町〜宇多野田橋区間で重複している。

   

 

<解説>

京都府道50号京都日吉美山線は

京都の観光地から山間を縫って北上している。

 

南丹市の美山・日吉両地区間で

府道が途切れる鏡峠附近は通行不可能である。

 

現在でも鏡峠の工事は進んでおらず

行き止まりとなっている。

 

1972年3月

主要地方道50号京都日吉美山線が認定

 

投稿記事 : バイクで紅葉探索 清滝トンネル-日吉ダム(スプリング日吉)

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問題084

阪急桂駅東出口から東方向に一直線に伸びる京都府道139号の名前は( 何線? )と呼ぶ。

   

 

<解説>

桂停車場線は

阪急桂駅を起点に東側に伸び

西京区桂木ノ下町に至る一般府道である

400mほどの短い府道であり

桂駅前商店街となっている。

 

投稿記事 : 阪急桂駅 砂利運搬車とイチョウ

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問題083

記事中のお店北側約150mほどには西国街道が通っている、西国街道は京都の( 何口? )から大山崎、高槻など、淀川右岸を通り、西国(下関、九州まで)へ至る江戸時代の重要な幹線道路である。

   

 

<解説>

西国街道は近世から近代にかけて

多くのの人物と物資が往来

情報や文化の伝播を担う動脈であった。

 

投稿記事 : 朝5:45開店「かどや 」のぶたじる

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問題082

京都府道31号、通称( 何線? )は、千本今出川交差点を起点に、北区中川中山(杉阪口)に至る主要地方道である。

   

 

<解説>

京都府道31号は

市街では千本通以北の区間は

鷹峯街道(たかがみねかいどう)と呼ばれる。

 

京都市街北部から

丹波国・旧京北町方面への最短ルートであり

国道162号の杉阪口以南の

迂回路としての役割も担っている。

 

投稿記事 : 山間に忽然と現れる「山の家 はせがわ」のハンバーグセット

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問題081

お店の近くを流れる西高瀬川は、渡月橋の東、数百メートルの桂川から取水し、京都市伏見区で( 何川? )に注ぐ。

   

 

<解説>

西高瀬川は

桂川から分流後

途中で有栖川や天神川と交差する形で東に流れ

中京区内を直線的で直角に方角を変える形で流れ

JR西大路駅近辺を通り

吉祥院水環境保全センター(下水処理場)で

また南に向きを変え

最後は伏見区下鳥羽上向島町で鴨川に合流する。

 

投稿記事 : 京都ラーメンのレジェンド「ますたに」の味を受け継ぐ「中華そば ほそかわ 花屋町 本店」

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問題080

花屋町通(はなやちょうどおり)は、近世には( 何通? )・万年寺通(まんねんじどおり)・花屋町通の3つの通りが少しずつずれて存在していた。

   

 

<解説>

花屋町通は

万年寺通の一部とみなされたりしていたが

明治になって万年寺通が延長され

花屋町通と改称すると

以前からの花屋町通は旧花屋町通と言われるようになり

現在でも新しく開通した方は

新花屋町通と言われることもある。

 

投稿記事 : 京都人にとっては 昔から慣れ親しんだ味 小川珈琲 本店 モーニング

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問題079

店の前を通る葛野大路通(かどのおおじどおり)は、京都市の主要な南北の通りの一つで平安京の( 何小路? )に、ほぼ該当し、西京極大路からは東側にずれている。

   

 

<解説>

葛野大路通という現在の道路名は

当地が山城国葛野郡であることによる。

 

投稿記事 : テーブルゲームの席がある喫茶クラウンのモーニング

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問題078

お店の前の御前通は北野天満宮の境内東側を通り( ? )までの南北の通り

   

 

<解説>

御前通は

京都市西部の延長約7kmの南北の通りで

所在地は京都市の

北区、上京区、中京区、下京区、南区にわたっている。

 

北野天満宮の門前を通ることから

「御前通」と呼ばれるようになった。

 

投稿記事 : 喫茶シララ ちゃぶ台でお庭をみながらの美味しいモーニング

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問題077

記事中のお店前の西大路通りは、平安京の野寺小路にあたる、その名の由来である野寺は( 何時代? )に建立した寺院と言われている。

   

 

<解説>

西大路通りは、

北は北大路通りから南は十条通りに至る

全長約7.6Kmの通り。

 

野寺は、秦氏の氏寺であったと言われ

由緒ある寺といわれている。

 

投稿記事 : 山崎麺二郎 あっさりスープしなやか自家製細麺のラーメン

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問題076

記事中のお店前の「御前通(おんまえどおり)」、通り名は( 何天満宮? )の門前を通ることに由来している。

   

 

<解説>

御前通は

京都市の主要な南北の通りの一つ

北は寺之内通から南は久世橋通まで至り

南の延長は新城南宮道まで伸びている。

 

平安京の西大宮大路にあたる

全長は約7.5キロ

 

投稿記事 : みね八 取寄せカレーうどんランキング全国1位「和牛スジ煮込みカレーうどん」

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問題075

一条通は京都市の主要な東西の通りの一つで、東端は( 何通? )通、西は右京区花園付近までだが、さらに西に延長して嵯峨野の清凉寺(嵯峨釈迦堂)までを一条通と呼ぶこともある。

   

 

<解説>

一条通は、平安京の北端の通りであったが

平安中期以降は一条大路を越えて

北へ市街地が拡大した。

 

御所の北端の大路という位置付けは

現在、今出川通が果たしている。

 

現在の一条通は、

市中心部では一方通行の狭い通りで

堀川にかかる一条戻橋が有名である。

 

投稿記事 : 妖怪仮装行列 一条百鬼夜行

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問題074

お店を少し東に進むと南北の通り「佐井西通(さいにしどおり)」があります。この通り別名は( ? )という。

   

 

<解説>

佐井西通の北の端は「下立売通」

南の端は「七条通」

安京造営当時の道祖(さい)大路に当たる。

 

投稿記事 : 八の坊 数量限定 泡々「豚だくカプチーノそば」

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問題073

記事中のお店西側を通る南北の道、「不明門通(あけずどおり)」は、北は松原通上ルの( 何寺? )門前から、南は京都駅北の塩小路通までとなっている。

   

 

<解説>

通り名の由来は

北端にある因幡薬師堂(平等寺)の門が

常に閉ざされていたことから

「あけずどおり」と呼ばれている。

 

投稿記事 : 勝牛 京都駅前店 ミディアムレアな牛カツ

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問題072

お店の前の「五条坂」は、西は( 何通? )から、東は坂を登って清水坂に至るまでの間を言う。

   

 

<解説>

五条坂近辺は

清水坂と供に清水焼の陶工の家が多く

上品で風雅な清水焼が造り出されたところである。

 

投稿記事 : 京つけもの西利清水店 タマネギの漬物やっと買えました

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問題071

記事中の「らーめん太郎」の在る地域は常盤(ときわ)というが、平安初期の頃、( 何天皇? )の皇子、源常(みなもとのときわ)が山荘を構えたのがこの地であり、常盤の里と呼ばれていたのが地名のはじまりである。

   

 

<解説>

常盤駅近くの源光寺には

源義経の母「常盤御前」の墓がある。

 

投稿記事 : 「京都太秦らーめん太郎」 赤穂の天塩を使った「あま塩らーめん」

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問題070

城南宮より少し南の地域「赤池」、この土地の名前の由来は、「 何? 」で池が真っ赤に染まった事が由来とされている

   

 

<解説>

平安の終わり頃

荒法師の異名をとった文覚(もんがく)が武士だった頃

同僚の渡辺渡(わたなべわたる)の妻

「袈裟御前(けさごぜん)」と恋に落ちる。

 

「俺は渡を殺す。そなたは俺と結婚してくれ」

「でしたら、東より2つ目の寝室に渡が寝ております

必ずや仕留めて下さい」

 

文覚は御前の亭主である渡辺渡の寝室に忍び込み

その首を斬り命を奪った

しかし、斬ったのは、袈裟御前であった。

 

道ならぬ恋に悩んだ御前は

夫の身代わりになる道を選んだ

失意の文覚が御前の首を近くの池で洗ったところ

水が血で真っ赤に染まった。

 

その池があった場所が

現在の赤池である。

 

投稿記事 : 「秋の七草」を求め 2015(5) 城南宮

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問題069

記事中のお店「勝裕」は、七条通と佐井通(さいどおり)の交差点近くにある、その佐井通は別名は( 何通? )通りと呼ばれている。

   

 

<解説>

佐井通は

四条通との交差点付近に春日神社があるため

春日通とも呼ばれる。

地域によってはこちらの名前の方がよく知られているために

一部の道路標識では春日通の名を併記したものも見らる。

 

投稿記事 : とんかつ処「勝裕」 京都では珍しいメニュー「ソースかつ重」

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問題068

西京極の名前は,( いつの時代? )の南北の道路である西京極大路が通っていた事に由来している

   

 

<解説>

西京極付近は

明治後期から昭和初期まで葛野郡京極村で

「川勝寺」「郡」「徳大寺」の3つの

大字(おおあざ)があった。

 

※ 大字は、市町村内の行政区画の単位

 

投稿記事 : 「秋の七草」を求め 2015(2)桂川河川敷

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問題067

記事中の府道205号中山向日線から「大枝稲荷神社」前を通り物集女に抜ける道は( 何峠? )峠と呼ばれている

   

 

<解説>

名前の由来は

もと赤穂藩士である萱野三平の義父与市兵衛が

三平を赤穂浪士の一員に入れるため

娘のお軽を祇園に売り

その金を持ってこの峠を越えようとした際

斧定九郎という浪人に殺された所以による。

 

投稿記事 : 西陽射す鳥居 大枝稲荷神社

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問題066

佐井通(さいどおり)は京都市の南北の通りで、平安京の( 何大路? )に該当する。

   

 

<解説>

佐井通は西大路通の西に位置し

北は金閣寺付近の北区衣笠天神森町から

南は八条通の南、西高瀬川までとなっている。

 

投稿記事 : 「らーめん 鶴武者」 こだわりが凄いラーメン

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問題065

記事中のお店前の六角通は、東は( 何通? )から西は佐井西通西入ルまでの東西の通りである

   

 

<解説>

六角通は途中で

坊城通・後院通との五叉路から

朱雀中学校の北まではJR山陰本線などにより

分断されている。

 

平安京の六角小路にあたる。

 

投稿記事 : 「担々麺 海苑」 ツルツルシコシコ担々麺

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問題064

河原町通は、北は葵橋西詰から、南は( 何通り? )まであり、葵橋西詰以北は下鴨本通と名前を変える。

   

 

<解説>

三条通から四条通にかけては

京都で有数の繁華街となり

商店街である歩道にはアーケードが設けられている。

 

投稿記事 : タナカ珈琲 今出川店 ホットサンドタマゴ モーニング

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問題063

南丹市の「富栄池」がある地域一帯は( 何の里? )と呼ばれており、富栄池には記念碑もある。

   

 

<解説>

京の御所へ氷を作って届けていたことから

氷所の地名が一帯についた

下記の写真は富栄池にある記念碑。

P1240024a

 

投稿記事 : 富栄池のエメラルドグリーン

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問題062

記事中のお店近くの千本通(せんぼんどおり)は京都市の主要な南北の通りの一つで、二条通以南は平安京の( 何大路? )に該当する。

   

 

<解説>

千本通は

北は鷹峯から南は伏見区納所町の

旧京阪国道納所交差点まで延びている。

 

投稿記事 : 京都において つけ麺の先駆け的存在「京都千丸しゃかりき」 つけめん超濃厚魚介

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問題061

ひまわり畑のある物集女は、物を集める女と書いて「もずめ」と発音する。地名の由来は( どこの? )の百舌鳥(もず)に勢力をもっていた一族が、この地に移り住んだことによるとされている。

   

 

<解説>

「物集女」はかなり古くから記録に出てくる地名で

9世紀ごろの記録には

「物」と「集」の2文字だけで「もず」と

発音していた事例も見られる。

 

投稿記事 : 向日市観光協会と地元農家が作る「ひまわり畑」

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問題060

九条通は油小路通から壬生川通までは国道1号、壬生川通から葛野大路通にかけては( 国道何号? )となっている

   

 

<解説>

九条通は

京都市の主要な東西の通りの一つ

平安京の南端の九条大路にあたり

東は鴨川の九条跨線橋東詰の東福寺交差点で

そのまま東大路通につながり

西は葛野大路通に突き当たる

千本通から西でやや南へ

西大路通からはさらに大きく南に振れていて

平安時代のものとは大きくずれている。

 

投稿記事 : JR西大路駅「らーめんみずき」 チャッチャ系京都ラーメン

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問題059

記事中のお店近くの「太子道(たいしみち)」は、日本の古代道路で( 誰? )が通ったとされ、その通称がつけられた。

   

 

<解説>

太子道は、

聖徳太子が太秦広隆寺への参詣道として

利用されていた道。

 

投稿記事 : 収穫できた日にのみ営業する野菜直売所 葛野大路太子道

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問題058

記事中のお店横を通る「綾小路通(あやのこうじどおり)」は、京都市内の東西の通りの一つで、 東は寺町通から西は( 何通? )までとなっている。

   

 

<解説>

綾小路通は

平安京の綾小路にあたる

重要文化財の杉本家住宅をはじめ

裕福な商人の多かった通りである。

 

投稿記事 : 中華料理店「上上(シャンシャン)」 の クリーミーでマイルドな冷やし坦々麺

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問題057

五条坂(ごじょうざか)は、京都市内の通りの一つである五条通の( どこの部分? )の別名。

   

 

<解説>

五条坂は

東大路通(五条坂交差点)から清水寺へ向かって

清水道(松原通の東端部分の別名)までの

坂道を指す。

 

投稿記事 : 京都・五条坂 陶器まつり

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問題056

店の前を通る葛野大路通(かどのおおじどおり)は、京都市の主要な南北の通りの一つで平安京の( 何小路? )に、ほぼ該当する。

   

 

<解説>

北側は暫定的に太子道までが開通しており

太子道以南で御池・三条・四条・五条・七条・八条・九条・

久世橋・祥久橋(第二久世橋)・津知橋通等と交差する。

 

投稿記事 : 「すし・ごはん 馬ん場」 ネタ満載の海鮮丼

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問題055

記事中の店舗沿いの「高辻通(たかつじどおり)」は、家具屋街として栄えたが、( どの時代? )に軍による強制疎開で道幅が拡幅されたため、店舗はことごとく姿を消すこととなった

   

 

<解説>

高辻通は

京都市の東西の通りの一つ

平安京の高辻小路にあたる

東は鴨川右岸堤防から西は梅津街道まで。

 

投稿記事 : セアブラノ神 夏季限定メニュー「冷やし坦々麺」

セアブラノ神 2016/11限定メニュー「背脂豚骨ブラック」

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問題054

記事中の店前の「御前通(おんまえどうり)」、北野天満宮の北では( 何川? )が平行に流れている

   

 

<解説>

紙屋川は北野天満宮から南に行くと

天神川と呼ばれるようになる。

 

投稿記事 : 拳10ラーメン 〆は海苔ご飯

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問題053

西大路四条交差点の地下にある阪急京都線の駅は何?

   

 

<解説>

駅付近の現在の地名は「さいいん」だが

中世には「さい」という発音が一般的であった

「さいいん」という発音が普及したのは

1928年(昭和3年)に開業した

新京阪鉄道(阪急京都本線の前身)が

一般的な読み方の「さいいん」を採用して以後のことである。

 

投稿記事 : 西大路四条交差点 人混み咲くヒマワリ

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問題052

記事中のお店前を通る東西の通りである高辻通(たかつじどおり)の南側を、( 北緯何度線? )が並行して通っている。

   

 

<解説>

高辻通は平安京の高辻小路にあたる

東は鴨川右岸堤防から西は梅津街道まで

途中、天神通から阪急京都本線に突き当たるまでの区間では

一筋北を高辻北通が、一筋南を高辻南通が並行している。

 

投稿記事 : 「ナマステ タージマハル」のテニスラケット程のナンが付くカレーランチ

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問題051

記事中の店前を走る国道307号は、滋賀県彦根市から大阪府枚方市に至る一般国道であり、( どんな愛称? )とも呼ばれている

   

 

<解説>

鎌倉時代のはじめ

明恵上人が

宇治の地にお茶の栽培方法を伝えた事がきっかけで

「田辺街道」と「宇治街道」は

お茶に関わる人々により栄えた。

 

投稿記事 : 山間部に在るにも拘わらず海外からも客が押し寄せる 「俺のラーメン あっぱれ屋」

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問題050

記事中のお店近くに在る円町の交差点は、南北の( 何通り? )と東西の丸太町通の交差点である。

   

 

<解説>

円町の西に、臨済宗大本山の妙心寺が在る

ここの法堂(はっとう)を建てる際に

お堂を支えるクスノキの柱(高さ8.5m、周囲2m)を

富士山のふもとから運んできた

円町付近で、円を描くように丸太を回転させ

妙心寺の方へ運んだことが

「円町」の名前の由来となっている。

 

投稿記事 : 「タイカレーレストラン シャム」 ココナッツミルクベースで 野菜がゴロゴロ入ったタイカレー

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問題049

廬山寺の前を通る寺町通(てらまちどおり)は、( 誰? )が行った都市改造の一環として、洛中散在の寺院が集められた通りである。

   

 

<解説>

秀吉は

京都の鬼門を神聖な寺院によって防ぐため

区画整理を行い、寺院を通りに並べた。

 

こうして出来た通りの一つが寺町通である

当時、寺町通には80もの寺院が集められた。

 

投稿記事 : 廬山寺 源氏庭の桔梗

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問題048

記事中のお店近くに在る裏寺町通(うらでらまちどおり)は、( 何通? )の北から四条通までの比較的短い南北の通りである。

   

 

<解説>

裏寺町通は

豊臣秀吉の京都改造によって作られた通り。

 

四条道場金蓮寺などの

寺町通沿いの寺院の境内が

縁日の舞台として利用されるようになり

見世物小屋や芝居小屋が見られるようになった。

 

明治の中頃には

西隣りに新しくできた新京極通が繁華街となる。

 

投稿記事 : 街中にあって 街中の喧騒から逃れられる純喫茶「回廊」のモーニングセット

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問題047

祇園の白川に掛かる「巽橋(たつみばし)」から南に続く小さな路地を何と呼ぶ?

   

 

<解説>

「切り通し」は

白川南通りから四条通りまでの150m程の小道

白川にかかる「巽橋」はCMでも度々登場する名所

大人が2~3人がやっと通れる細道は

格子戸の美しい町屋の通りとなっている。

 

投稿記事 : 祇園白川 霧雨の中のあじさい

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問題046

記事中のお店前の花屋町通(はなやちょうどおり)は、( どこの寺? )に手向ける生花商の店が多かったことからこの名がついた。

   

 

<解説>

花屋町通は

京都市の東西の通りの一つ

東は富小路通から西は天神川通・阪急西京極駅前まで至る

途中、中央卸売市場と山陰本線があるため道は中断される

平安京の左女牛小路(さめうしこうじ)に相当する

全長約4キロ

 

投稿記事 : 京都で一番古いおかき屋さん「菱屋」の手焼きおかき

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問題045

記事中の「シャム」さんは四条中新道のバス停から約3分。南北の通りの中新道は、本来( 何通り? )と呼ばれている。

   

 

<解説>

七本松通は、京都市の南北の通りの一つ

寺之内通から南へ、姉小路通と三条通の間

京都貨物駅・東海道本線・東海道新幹線で中断して

十条通まで一部狭い区間があるが

山陰本線と御前通の間の主要な通りである

四条通以南の一部区間では中新道とも呼ばれる。

 

投稿記事 : タイカレーラーメン 最後はスープにライスをドボン! 「シャム」

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問題044

京都市中京区、阪急大宮駅前の、後院通(こういんどおり)は、京都市内では珍しく斜めに走る通りで、地元では( 何通り? )と呼ばれる事もある。

   

 

<解説>

京都市電が走っていたころ

この通りの沿線に京都市電の壬生車庫が

設置されていたことから

その名がついた。

 

投稿記事 : 「元祖熟成細麺 香来 壬生本店」 見た目こってり、実はアッサリ背脂醤油ラーメン

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問題043

美山町安掛は、古来、都(天皇)へ献上した( どんな魚? )を漁した場所として伝えられている。

   

 

<解説>

美山町安掛は

南丹市美山地区の中央部

白尾山系の南麓に位置し

その山裾に集落が立地している。

 

由良川が南西に流れ

それに並行して

京都府道38号京都広河原美山線が通る。

 

投稿記事 : 「美山のめぐみ 牛乳工房」 餡が白い美山牛乳カレーパン

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問題042

記事中のお店近くの八条油小路交差点は、東西方向は八条通り、交差点より南は油小路通であるが、交差点より北は何通か?

   

 

<解説>

八条油小路交差点北側にある

東海道本線ガードあたりで

堀川通と油小路通が合流している。

 

投稿記事 : 京都産豚のスープとチャーシュー 京都ラーメン研究所

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問題041

 佐井通(さいどおり)は京都市の南北の通り。平安京の( 何大路? )に該当する。

   

 

<解説>

佐井通は

西大路通の西に位置し

北は金閣寺付近の北区衣笠天神森町から

南は八条通の南、西高瀬川までとなっている。

 

投稿記事 : ローム本社前のメタセコイア並木

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問題040

醒ヶ井(さめがい)通りは、平安京には存在せず( 誰? )による天正の地割で新設された通りである

   

 

<解説>

醒ヶ井通りは

京都市内の南北の通りの一つ

北は六角通から南は五条通まで。

 

「佐女牛井(さめがい)」と呼ばれる名水が

通り名の由来である。

 

投稿記事 : 京の三名水 醒ヶ井

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問題039

京都市の東西の通りである花屋町通(はなやちょうどおり)は、平安京の( ? )小路に相当する

   

 

<解説>

花屋町通は

東は富小路通から西は天神川通・阪急西京極駅前まで至る

途中、中央卸売市場と山陰本線があるため

道は中断されている

全長約4キロ

 

投稿記事 : レアチャーシューと自家製麺が美味しい 「あいつのラーメン かたぐるま」

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問題038

祇園四条駅は、京都市東山区にある京阪電車の駅で、地元の人は当駅を含めた周辺地区を( ? )と呼ぶことが多い。

   

 

<解説>

2008年(平成20年)10月19日

駅名を「四条」から「祇園四条」に改称。

 

駅周辺は

東側は祇園の繁華街で

四条大橋の交差点に面して南座があり

その向かいには昭和初期の名建築

「菊水ビル」(レストラン菊水)

北側の市営鴨東駐車場を挟んで井筒八ッ橋本舗の本店

四条通を東へ進むと

八坂神社の石段に突きあたる

さらに東には円山公園、知恩院がある。

 

投稿記事 : BLUE FIR TREE 幻のホットケーキ

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問題037

山中越は、京の七口の一つ( ? )から近江国に至る古くからの街道である志賀越道の一部を継承した路線である。

※ 京の七口(きょうのななくち)とは、京(京都)につながる街道の代表的な出入口の総称

   

 

<解説>

山中越は

正しくは「京都府道・滋賀県道30号下鴨大津線」と呼ぶ

古くからある街道で

「志賀越道」「白川街道」「白川越」「安土海道」

などの名称が残る

かつては

京都から坂本や北陸道への利便性が高い道として

認知されていた。

 

投稿記事 : ガッツリ系 大衆食堂「大銀」 ミックスフライ定食

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問題036

西大路通(にしおおじどおり)は、平安京の( 何という通り名? )にほぼ相当する。

   

 

<解説>

西大路通(にしおおじどおり)は

京都市中心市街地の西部に位置する

主要な南北の通りの一つ

北は北大路通から南は十条通まで。

 

投稿記事 : 祇園白川 雨の桜

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問題035

記事中のお店の近くを通る十条通(じゅうじょうどおり)は、東は本町通との交差点から、西は( 何通? )との交差点までの東西の通りである。

   

 

<解説>

平安京の大路小路とは関係なく

近代になってから

九条通の南に作られた歴史が浅い通りで

旧名の鳥羽通とも呼ばれる。

 

京都市中心部と山科区を結ぶ新たな道路として

十条通を東方に延長する形で

阪神高速8号京都線(新十条通)が完成した。

 

投稿記事 : 「みずなぎ」の超ボリューム天丼

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問題034

京都市の東西の通りである東寺通(とうじどおり)は、平安京の( ? )小路に相当する。

   

 

<解説>

東寺通(とうじどおり)は

全ての区間が南区に収まり

東は鴨川の西岸から西は御前通まで至る

大宮通と壬生通の間に存在する東寺を挟んで

東西に伸びる通りで

東寺より西側の区間(壬生通-御前通間)は

東寺西門通(とうじにしもんどおり)とも称される。

 

投稿記事 : 東寺西門前の有名おはぎ屋 巴屋

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問題033

京都府向日市の「かいで」の地に、漢字「鶏冠井」が当て嵌められたのは、平安元2年(1176)に公卿である( 何家? )の別荘がこの地に建てられたことに由来する。

   

 

<解説>

古来、中国では

宮殿の周りに楓(かえで)を植える習わしがあり

徳大寺家では自分の屋敷に

楓(古くは鶏冠木とも書く)を植えた

さらに近くに井戸があったことから

「鶏冠井殿(かいでどの)」と呼ばれ

そのまま地名として転用した。

 

投稿記事 : パティスリーピラミッドの鶏冠井ロール

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問題032

1872年、槇村正直(まきむらまさなお)が京都に活気を取り戻そうと作った南北約500mの通りは?

   

 

<解説>

新京極通は

当時の京都府知事(第2代目)であった

槇村正直により作られた。

 

新京極の名前は

西隣を走る寺町通が「京極通り」と呼ばれていた事が由来

東海道ゆかりの三条通と

京都のメインストリートである四条通を結ぶ

約500mが繁華街(アーケード)になっている。

 

投稿記事 : 玉や絲や かりんとう菓子

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問題031

阪急桂駅の南側を通る山陰街道(さんいんかいどう)は、( 何道? )とも呼ばれていたが、明治時代に「山陰街道」の名称に統一された。

   

 

<解説>

山陰街道は

京都から丹波を経て山陰地方を通り

周防国の小郡(現・山口市)で西国街道に合流する。

現在の国道9号線は

これにほぼ沿っている。

 

投稿記事 : 国産小麦100%の自家製うどん つるめん

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問題030

河原町通(かわらまちどおり)は、北は葵橋西詰から南は十条通まであり、葵橋西詰以北は( 何通? )と名前を変える。

   

 

<解説>

河原町通は

三条通から四条通にかけては

京都で有数の繁華街となっており

商店街である歩道にはアーケードが設けられている。

 

投稿記事 : ボン・ボランテ 薪窯パン

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問題029

札ノ辻通から北へ延びる御前通は、北野天満宮の境内東側を通り( 何通? )までの南北の通りである。

   

 

<解説>

御前通は京都市西部の延長約7kmの南北の通り

所在地は京都市の

北区、上京区、中京区、下京区、南区にわたっている

北野天満宮の門前を通ることから

「御前通」と呼ばれるようになった。

 

投稿記事 : 昭和のにおいがプンプンする 「大栄ラーメン 本店」 豚骨醤油ラーメン

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問題028

松井山手駅(まついやまてえき)は片町線(かたまちせん)の駅であるが、その片町線は1988年3月13日に( 何線? )という愛称が設定された。

   

 

<解説>

学研都市線は

生駒山地の北端を廻り

大阪府北河内地域の各都市や

京都府南部に広がる住宅地と

大阪・阪神方面との通勤・通学路線となっている。

 

愛称の通り

関西文化学術研究都市田辺地区の

アクセス路線でもある。

 

投稿記事 : 麺恋家 旨味醤 みそ野菜らーめん

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問題027

北大路駅(きたおおじえき)は、1981年5月19日に京都市営地下鉄( 何線? )が開業した時の起点駅である。

   

 

<解説>

北大路駅は

北大路通(国道367号)と烏丸通の交差点北側の

地下にあり

一つ上の地下階には

京都市営バスの北大路バスターミナルもある。

 

投稿記事 : お取り寄せベーグルで 全国1位になったお店 ブラウニー ブレッド&ベーグルズ

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問題026

途中越(とちゅうごえ)とは滋賀県と京都府の境にある峠道で、別名( 何超え? )とも呼ばれる。

   

 

<解説>

標高 374mの途中峠は

京都市左京区大原から

滋賀県大津市堅田 (かたた) に通じる峠道

かつては若狭街道の間道として重要であった。

 

投稿記事 : 土井志ば漬本舗 本店 種類豊富な志ば漬

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問題025

鯖街道(さばかいどう)とは、( どこ? )と京都を結ぶ街道の総称である。

   

 

<解説>

鉄道や自動車が普及する以前の時代

若狭湾で取れたサバは徒歩で京都に運ばれた

その運搬するための物流ルートを

鯖街道と呼んでいる。

 

複数の物流ルートの中で

現在「鯖街道」と呼ばれているのは

小浜市から京都市左京区に至る

「若狭街道」である。

 

投稿記事 : ポン酢とドレッシングの専門店 味工房 志野

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問題024

記事中の「珍遊」は東大路通と曼殊院道との交差店角にありますが、その曼殊院道(まんしゅいんみち)は、曼殊院門前から( 何通? )までの東西の通りである。

   

 

<解説>

曼殊院道の沿道にある主な施設は

曼殊院、鷺森神社、詩仙堂、狸谷山不動院、

八大神社、一乗寺下り松、叡山電鉄一乗寺駅などがある。

 

投稿記事 : 珍遊 一乗寺本店 一乗寺ラーメンストリートど真ん中 背脂チャッチャ系ラーメン

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問題023

伏見区深草の「深草」は、( 何物語? )にも登場する古い地名で、深草郷→深草村→伏見区深草と変遷してる。

   

 

<解説>

本節は諸説あるうちのひとつです

【深】は「深田」「泥田」を意味し

【草】は、 水辺の底湿地を意味する

深草郷がそのような土地であったようである。

 

投稿記事 : 伏見区深草「大河」 食べログ2013ベストランチのお店

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問題022

京都市西京区の「洛西ニュータウン」は、( ? )と呼ばれる古墳が集まった場所に開発された。

   

 

<解説>

福西古墳群とは

7世紀前後に築造された群集墳

現在までに20数基が確認されているが

破壊されているものも多い

ニュータウン造成時に

発掘調査された2基の古墳を補強し

公園用地にして保存されている。

 

投稿記事 : 洛西ニュータウン ラーメン大ちゃん たっぷりチャーシュー醤油ラーメン

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問題021

西端に松尾大社、東端に八坂神社がある( 何通? )は、京都のメインストリートの一つである。

   

 

<解説>

四条通は

八坂神社の西楼門から松尾大社までの

東西の道(約8キロ)

道路沿いには南座があり

祇園祭では多くの山鉾が建ち並ぶ。

 

投稿記事 : 松尾大社 節分大祭「石見神楽」

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問題020

記事中の店舗沿いを走る高辻通は、四条通と五条通の真ん中を走る都市計画道路で、( 何時代? )の高辻小路であった。

   

 

<解説>

高辻通は

平安期から鎌倉期を通して

一般町人の住居地区であった

室町期に東洞院通から大宮通に掛けて

商工業街として

発達していた地区もあった。

 

投稿記事 : セアブラノ神 背油煮干そば

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問題019

記事中のお店の南側に東西に伸びる蛸薬師通(たこやくしどおり)があります。この蛸薬師通、平安京時代には( ? )と呼ばれていた。

   

 

<解説>

四条坊門小路は

平安京を東西に走る道路

三条大路と四条大路の中間に位置していた。

 

投稿記事 : とろろ昆布とカツオ節のラーメン 味蔵

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問題018

醒ヶ井通(さめがいどおり)沿いで営業されている記事中の「亀屋良長」さん、醒ヶ井通は( だれ? )による天正の地割で新設された通りで、堀川五条の名水井戸「佐女牛井」(さめがい)が通り名の由来である。

   

 

<解説>

醒ヶ井通は

京都市内の南北の通りの一つ

北は六角通から南は五条通まで

蛸薬師通と錦小路通の間で

堀川高校敷地により分断されている

五条通以南では

堀川通が拡張されたために重なり消滅した。

 

投稿記事 : 亀屋良長 烏羽玉

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問題017

記事中のお店の前にある「松原通」は東西の通りの一つで、東の端の清水寺門前から東大路通までは( 何通? )ともよばれる。

   

 

<解説>

松原通の名前の由来は

松並木が綺麗な事から「五条松原通」と言われ

その後「松原通」の名前だけが残った。

 

投稿記事 : みなとや幽霊子育飴本舗

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問題016

記事中の「だんじり祭り」では商店街のアーケードの中を勇壮にくぐり抜けますが、現在の商店街や繁華街の原型といわれる京都の通りはどこか?

   

 

<解説>

新京極通は

1872年に作られた比較的新しい通りで

明治以前には

料亭・飲食店・商店・見世物小屋が建っていた。

 

投稿記事 : 岸和田 だんじり祭り

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問題015

京都市右京区の「御室」には京都の有名企業の創業地としても知られている。その企業とは?

   

 

<解説>

社名は創業地の御室(おむろ)から

名付けられた。

現在、創業地の跡地は住宅地となっているが

創業記念碑が立っている。

 

投稿記事 : スタイリッシュな和カフェ 御室さのわ 「寒天 と きな粉 と 黒豆 のお菓子」

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問題014

記事中のお店「タンポポ」にちなんで1問、映画「タンポポ」の監督 伊丹 十三は 京都市右京区鳴滝の出身である。この「鳴滝」の地名の由来は、この地に流れていた滝の音が、あるとき轟音を響かせ、村人に( どんな自然現象? )の前触れを知らせて救った事によるものである。

   

 

<解説>

鳴滝は

毎年、12月9日、10日の両日

大根焚寺として知られる

了徳寺の大根焚きでにぎわう。

 

投稿記事 : ピリ辛背脂鶏ガラ豚骨醤油 タンポポ

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問題013

記事中で私がねこと会った祇園白川(ぎおんしらかわ)と呼ばれるこの地域は、( 何通? )の東側から新橋通と白川に面する辺りをいう。

   

 

<解説>

祇園白川は

祇園の芸妓、舞妓さんが通う

お茶屋があり

古風で美しく情緒のある街並みである。

 

投稿記事 : カカオ マーケット バイ マリベル NYのショコラティエ日本2号店

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問題012

記事中のお店近くの南北に延びる千本通りは、北は( どこ? )から南は伏見区納所町(のうそちょう)の旧京阪国道納所交差点まで延びている。

   

 

<解説>

七条から八条まで

「梅小路公園」「梅小路蒸気機関車館」などがあり

中断されている。

一筋西に新千本通があるため

五条通から久世橋通間は

旧千本通と呼ばれている。

九条通以南は、かつての鳥羽街道である。

 

投稿記事 : カレーよりうまいカレーの店 かれいはうす沙羅

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問題011

神護寺がある高雄(たかお)は高尾とも記し、近隣の槙尾(まきのお)、栂尾(とがのお)とあわせて( ? )と並び称される。

   

 

<解説>

高雄山ふもとには清滝川が流れ

周辺では川床料理を楽しむことが出来る

料理旅館がある。

近くには国道162号(周山街道)が走っているほか

有料道路の嵐山・高雄パークウェイもあり

嵯峨・嵐山とのアクセスが容易となっている。

 

投稿記事 : 神護寺 高雄山の紅葉

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問題010

記事中のお店の場所は大宮通沿いで中立売通り(なかだちゅうりどおり)を上ル(北側)にあります。この中立売通は安土桃山時代には内裏(だいり:天皇のお住まい)と豊臣秀吉の屋敷( ? )を一直線に結ぶメーンストリートであった。

   

 

<解説>

1588年(天正16年)4月 と

1592年(天正20年)1月における

後陽成天皇(ごようぜいてんのう)の

聚楽第行幸(ぎょうこう:天皇の外出)は

この中立売通を通って行われた。

 

投稿記事 : 京町家のお店 パンケーキハウス ラインベック

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問題009

記事中のお店「鳥岩楼」のある地域名「西陣」の名は、応仁の乱(1467年-1477年)で西軍総大将の( だれ? )が堀川よりも西の地に陣を構えたことに由来する。

   

 

<解説>

応仁の乱後には

各地に離散していた織物職人が京都に戻り

西陣と呼ばれる地で織物作りを再開した。

 

投稿記事 : 西陣・鳥岩楼の名代親子丼

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問題008

記事中の「中村軒」の前の通りは京都府道142号、別名:( 何街道? )といい、京の七口の一つとされる丹波口を起点とし、樫原ー老の坂をー亀岡ー園部ー三和を経て福知山に達し、夜久野を経て但馬国へと繋がっている。

   

 

<解説>

山陰街道は

京から丹波を経て山陰地方へ向かう道。

山陰道(さんいんどう)、山陰路(さんいんじ)、

丹波街道(たんばかいどう)、丹州街道(たんしゅうかいどう)、

丹波路(たんばじ)、丹州路(たんしゅうじ)とも呼ばれ

明治時代に京都府令により「山陰街道」の名称に統一される。

 

※ 京の七口(きょうのななくち)とは、京(京都)につながる街道の代表的な出入口の総称として用いられる。

 

投稿記事 : 桂の甘味何処 中村軒 麦代餅と栗ようかん

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問題007

記事中のグリル子宝がある岡崎は、その昔、平安京の東の位置にあり、この一帯は、( ? )と呼ばれ、平安時代末期には栄華をきわめた。

   

 

<解説>

白河は

藤原良房の邸宅であり

のち白河法皇の御所となった。

白河院、白河御所と呼ばれ

これらの建物は鎌倉時代にかけて焼失した。

 

投稿記事 : 京都でオムライスといえば 「グリル小宝」

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問題006

京都駅の北側を走る東西の路「塩小路通(しおこうじどおり)」はかつて( 何通? )と呼ばれていた。これは僧侶の名にちなんで命名されたと言われている。

   

 

<解説>

かつて大宮通東入ルに

三哲と呼ばれた渋川春海の邸宅があったが由来

 

塩小路通は、東西の通りの一つで

東は東大路通から西は大宮通まで

七条通とJR東海道本線の間を走っている。

 

投稿記事 : 京都たかばし 本家 第一旭 本店ならではの味

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問題005

「ラーメンダイニング 京都 五行」の前の通りである「柳馬場通(やなぎのばんばどおり)」は京都市内の南北の通りの一つです。北は( ?通 )から南は五条通まで。 平安京の万里小路(までのこうじ)にあたる。

   

 

<解説>

二条通との交差点近くに遊廓が作られ

その周りには柳並木がありました。

しかしこの遊廓は1602年六条に移転

1604年その跡地で行われた豊国祭臨時祭礼にて

大規模な馬揃えが行なわれ

これが通り名の由来となりました。

 

投稿記事 : 五行 焦がし醤油ラーメン

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問題004

丹後半島の先端、海抜140mの断崖に立つ「経ケ岬灯台」。名前に付いている漢字「経」の由来となったのは何か。

   

 

<解説>

船から経ヶ岬の海岸を見ると

玄武岩が岐立し経本のように見える為

船人達がここを通る際は安全を祈り

お経を唱えながら通った事が

名前の由来となっている。

 

投稿記事 : ツーリング 丹後半島(間人~伊根~天橋立)

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問題003

琉瑠渓のある南丹市園部町の南西部の地はもともと( ? )と呼ばれていた。明治38年に当時の船井郡長があまりの美しさに感動して「琉瑠渓」と命名した。

   

 

<解説>

徳川時代には園部藩主も探勝したといわれている

名前の「琉瑠」とは

紫色をおびた紺色の宝石のこと

人の手が入っていない神秘的な地に

自然のままに存在する緑と渓谷は

宝石に値する素晴らしさがあったのでしょう。

 

投稿記事 : るり渓12勝めぐり

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問題002

深見峠は古くから周山街道の難所として知られていたが、1946年に(?)が開通し、さらに2001年には深見トンネルも開通。快適な二車線道となった。

   

 

<解説>

1946年竣工、延長538m

深見隧道が掘削されたものの幅員が狭いこともあって

車両同士が離合ができないなど

引き続き隘路(あいろ)となった。

 

投稿記事 : 看板猫トトがお出迎えするライダーの聖地と呼ばれるお店「カモノセキャビン」

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問題001

京都にも「よしもと祇園花月」というお笑い劇場があり、場所は八坂神社近くの東大路通り沿いである。この東大路通り、旧称の( ?通 )という呼び方は現在も通用し、交差点やバス停などに名残を留めている。

   

 

<解説>

東山通は

現在の京都市において

東端の主要な南北の通りである

 

ちなみに平安京の東の端の通りは

東京極大路(現在の寺町通)であった

 

投稿記事 : なんばグランド花月 「いらっしゃーい♪」

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